間道をゆく…その11。

え〜朝からの続きです…。

『東峠でキス顏撮ったの』あれも考えてみればヤバいな…『東峠はあの界隈の人達の愛するお散歩路』なのだから…。

事実漏れも『東吾野側からのウォーキングおじいさん』に会っている…あのおじいさんに『キス顏撮影』見られていたらと思うと…ゾーッ…(悪寒)

『自撮りするなら人目につかない場所を選ばなくては』な…それこそ朝の投稿で触れた『歳胤さん』じゃないけど『大岩窟の中』とか…。

ん?何か良い具合に話が繋がったような…。

しからば『朝の投稿の続き』をば…。

強引だな!(呆れ)















































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さてさて朝の投稿からの続きですが、朝の投稿で触れたこちらの説明板にある『千葉歳胤の事績』を読んだ時、漏れは何というかこう凄く感動してしまいました…。

何といっても『歳胤さん』(以下この言い方で通す)の『学問に向かう姿勢』が凄い!

あんな岩窟に籠って(後でまた写真を挙げます)勉強しようってのが熱い!

それは『誰にも邪魔されず心ゆくまで書物に没頭したい』という『少年時代の歳胤さん』の想い…偉い!立派だ!凄すぎる!!

しかも…ですよ…『天文岩』って『虎秀集落』からは結構離れている…。

具体的な距離は知らないのであくまでも『漏れのイメージ』で言うんだけど…多分『5Km位は離れている』んじゃないだろうか…。

しかも…『ただの5Km』じゃない…『山を登っての5Km』…。

歳胤さんが何歳位の時この『天文岩での苦学』をしたのかは分からないけど、それが今で言う『中学高校時代』だとすればやっぱ凄い!

『中学高校時代』って『元気一杯の時期』だし、江戸時代の人だから『現代人より遥かに健脚』ではあっただろうけど、それにしたって『煩悩一杯の中学高校時代』(笑)に

「おらぁ学問してえだ!」

と思い込んで『5Kmの山道をせっせと天文岩に通った歳胤さん』を想うと、漏れは『煩悩の塊で』『次いでアニメにハマった』自分の中学高校時代をひたすらにひたすらに恥ずかしく思うよ…。

本当にな…。
『歳胤さんの爪の垢』でも煎じて飲め!(また呆れ)













































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上のグーグルマップは『天文岩と虎秀の集落の位置関係』を示したもの…。

赤のマーカーが『天文岩』で、『虎秀の集落』は東吾野駅界隈から北に伸びる沢沿いにある…やっぱ『5Km』はありそう…。

この『片道5Km、往復10Kmの山道』を歳胤さんはせっせと毎日『天文岩』に通った…その想いはただひたすらに『誰にも邪魔されず心ゆくまで書物に没頭したい』というもの…。

まあ江戸時代の少年が『毎日勉強に勤しむ』なんて贅沢させてもらえたのかは定かではないし(「おめ!本ばっか読んでねえで畑仕事さ手伝えや!」とか言われそう…)『虎秀の集落』だって何気に広いから『実は歳胤宅から天文岩までは2Km位しかなかった』って可能性もあるけど、仮に『2Kmで』『毎日ではなかった』としても、それでも『歳胤さんがせっせと天文岩に通ったのは動かせない事実』で、それはやっぱ素晴らしい事だと漏れは思うな!

あのう…『適当な思い込み』で書かないで『ちゃんと調べてから』書いてみたほうがいいのでは?
『千葉歳胤 少年時代』で検索すれば『その辺の事情』がかなり明らかになると思うけど…。

ごめん…そこまではしてられねえ…。
そんな事してたら『モスバーガーに泊まる事』になりかねねえ…。

ま〜たモスバーガーで書いているんかい!(三度呆れ)











































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次いで素晴らしいと思ったのは『歳胤さんが学究への道を志して江戸に上った事』!

上の地図は今度はグーグルじゃないんだけど(笑)iPhoneにあったマップアプリで『皇居〜虎秀間をナビしてみたもの』…。

ヤベェ…『漏れの現在位置』が露わになっている…まあ…この縮尺ならいっか…。

で、多分『甲州街道〜府中街道経由』でナビされたこの間の距離が『69Km』…まあ『70Km』としよう。

江戸時代の人がいくら健脚とはいってもさすがに『70Km』は『1日で走破する距離』ではあるまい。

『朝8時に出発して夕方5時まで休憩1時間挟んで時速4Kmで歩く』として『32Km』…そのペースで上記区間を移動するとしたら『2日とちょい端数』…まあ江戸時代の人なら『2日で移動する』のかな?

これは江戸時代の人からみれば『かなりな距離』ではあるまいか…ましてや『武蔵野の片田舎虎秀の人』からみれば『隔絶された距離』…江戸は虎秀の人からみれば『遥か彼方にあるというガンダーラ』…は言い過ぎとしても(笑)

「江戸たらいうところは俺達には縁もゆかりもないところだよう!」

「『一生に一度行くか行かないか』ってところだよう!」

といった位置付けなのではあるまいか?

そこを歳胤少年は指した!

「オラ江戸さ行きてえ!行って偉い学者さんに師事して学問を極めてえ!!」

と願った!

そして『実際に行った』!

願うだけでなく夢見るだけでなく『本当にやった』!まさに『夢を正夢に』だ!!

そこに痺れる憧れるゥー!!!

『ジョジョ』か!?(四度呆れ)











































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ここまで虎秀を『武蔵野の片田舎』『江戸とは縁もゆかりもない地』と悪し様に書いてきたけど(すんません…)実は『そうではなかった可能性』もある…。

上の地図の虎秀の位置を示す緑ピンの西方に『秩父』があるのが分かると思うけど、前にもどこかで書いた通りこの時代の秩父は『絹織物の一大生産地』で、故に江戸との往来はかなりあったそうな。

その往来から『秩父小鹿野に歌舞伎文化が花開いた』のは有名な話だし、虎秀がある吾野の地に『吾野宿』という宿場町があったのも歴史的事実。

つまりは『吾野は秩父往還ルート上の街として栄えていた可能性』がある!

としたら『武蔵野の片田舎』だの『江戸とは縁もゆかりもない地』なんてとんでもない誹謗だ!漏れは吾野の人々に土下座して詫びなくてはならない…(汗)

まあ『土下座』はともかく(笑)吾野…ひいては虎秀…は『江戸秩父往還路の宿場町として栄えていた可能性』があり、その往来する人々から江戸の話を聞いた歳胤少年が『江戸上京を夢見た』という可能性もある…。

としたら『草深いど田舎から江戸を指した少年』みたいな書き方もまたどえらい誹謗…漏れはやっぱり虎秀の人々に土下座して詫びなくてはならない…(汗)

でも、虎秀が『江戸と隔絶された地』であったにせよ『案外往来があった縁もゆかりもあった地』であったにせよ『2日行程先の遥かなる都』であったのもまた事実な訳で、『その距離を踏破して学究を志す』のは、やはりこの時代の少年としては『稀有な夢を抱く事』であり、『それを実践して遂には夢を叶えてしまった歳胤さん』はやっぱすげえ人だと漏れは思うゾ!

よくもまあろくな下調べもしないでこんな長文ダラダラと書けるもんだ…。
ここに書いた事『間違ってる可能性』もあるんでしょ?『全部違ってたら』一体どうするつもり?

頭を丸めてお詫びする…。

『丸める必要』ないからー!
『もう何年も前からいつも丸まっている』からー!!(五度呆れ)












































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話がスーパー長くなって申し訳ないけど(笑)この説明板読んだ時、漏れここまでに書いた様な事を想って感動したり感心したりしたんだわ…。

「『小さくまとまらず大きな夢を見た歳胤少年』偉い…」

「『そんな歳胤少年を育んだ虎秀の集落』も凄い…今では『西武沿線の片田舎東吾野のそのまた外れ』に過ぎないのに…」

ってね…。

「虎秀は『武蔵野の片田舎』だったのだろうか…それとも『田舎は田舎でも江戸〜秩父往還路の一角としてそれなりに栄えていた』のだろうか…」

なんて事も考えましたね…。

更に

「『歳胤少年が籠って学究への想いを募らせた天文岩』をじっくり見てみてえ…」

とも思いました…。

そこで…だ…
























































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漏れは『件の天文岩』を実見せんとその核心部に静々と足を運んだのでありました…。

え〜何この展開!?
じゃあ…まさかここまでのクソ長いのは『全て前振り』とか!?(締め呆れ)















続く…。
(かなり頑張ったけど『壮大な前振り』で終わってしまった…これから帰りの電車内で『続き』を書く…←締め溜息)
by shousei0000 | 2015-07-15 22:32 | アヴァン 走行


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