ロード トゥ ロードバイク! その3

さてさて前回の末尾を

>かくて小生の四半世紀振りのサイクルライフがはじまった!

と締めさせてもらったのですが、今回はその『四半世紀前のサイクルライフ』について、しばし綴らせてもらいます。折角在りし日の少年時代について触れていくのですから、一人称はいつもの『小生』ではなく『僕』を用いさせてもらいますねっ♪(ど~でもいいわッ!←怒)

四半世紀前…つまりは約25年前…。当時中学1年生だった僕は自転車に夢中だった。それは前年に大阪より転入してきたN君によってもたらされた。漫才ブームが日本中を席巻する前だったこの時代、N君の口にする大阪弁は僕等にとって新鮮なものであり、またN君のキャラの面白さや大人びた雰囲気もあいまって、彼はまたたく間に僕等のヒーローとなった。それがどの位勢いがあったかというと、その翌年の文化祭クラス出し物が彼の鶴の一声で『通天閣の歴史』になりかけた程であった。『なりかけた』とはどういう事かというと、クラス担任が

「あのなぁ…お前ら…Nに影響されるのもいい加減にしろ!」

「何で埼玉県の中学生が、大阪にある通天閣の歴史を文化祭の出し物にするんだッ!!」

と一喝して中止させたという事なんですね(笑)まあそんな訳で中止にはなりはしたが、このエピソードから彼のパワーというか影響力というか…そういう所が分かってもらえると思う。

そんな魅力的な彼の趣味のひとつが自転車だった。まだまだ子供っぽかった僕にとって、彼の口から出る自転車についての専門用語は何ともいえなく格好良く感じた。また彼が見せてくれた『サイクルスポーツ』や『ニューサイクリング』といった専門誌に掲載されていたサイクリング車達は、これまた何ともいえなくスマートでカラフルで洒落た存在に見えた。そこであっさりと彼に洗脳された僕は親にねだって『ブリジストン ロードマン』を買ってもらったのだった。今でこそロードマンは

『リーズナブルにまとまったブリジストンの傑作』

『当時の少年達をサイクリングに誘った(いざなった)歴史的名車』

といった絶賛に近い評価をされている様だが、当時のN君の評価は厳しく、以下の様に酷評したものだった。

「あん?ロードマン買う?やめときやめとき!あんなの格好だけの自転車やで!!」

「『フレームは前三角クロモリです』とか宣伝しとるけど、前三角だけクロモリにしてどうするねん!」

「しかもそのクロモリってのは、一番安い『石綿025』っつーパイプなんや!大した事あらへん!!」

「更にいうとな、そこに金つこうとるから、他のパーツが安物なんや!ディレーラーなんて『アルタス』やで!!」

「とどめに『リムは錆びないステンレス使用』とかいうてるけど、そんな重い素材つこうてどないするねん!」

「つまりは『子供を喜ばすピカピカ自転車』どまりな物や!ようないで!!」

「どうせ買うならフレームはハイテンやけどパーツに金かけてる『ガンウエル』の入門車や『イエロージャケット』(どこのメーカーだったか忘れた…)とかにしたらどうや?」

我が心の師N君(同い年ですが←笑)にそこまで酷評されて怯みはしたが、結局僕はロードマンを買った。彼が語った細々した専門的評価は、実のところ当時の僕にはよく分からなかったし、何よりピカピカに輝くメタリックブルーの車体に惹かれて惹かれてどうしようもなかったのだ。つまりはブリジストンの陰謀に完全にやられてしまった訳ですね(笑)こういう『ルックスに惹かれて衝動買い』という傾向は、不惑の歳を越えた今でも変わっていない…。『三つ子の魂百まで』とは、本当によく言ったものですね…。

こうして人生初のサイクリング車を手に入れた僕はN君と、或いは単独で様々な地域にサイクリングに出掛けた。僕の自宅の近場に秩父やら奥多摩といった埼玉サイクリングのメッカが控えており、旅する目的地には事欠かなかった。まずは『ビギナーの峠』と目されていた正丸峠にアタック!(因みに正丸トンネルはまだありませんでした)ここは何なく越えられた♪次いで僕等の中では『難所』と定義されていた、顔振峠~グリーンラインにチャージ!(当時顔振峠は、元旦にはサイクリスト達がご来光目当てで集う様な、メッカ中のメッカだった)ノンストップでは登れず足を着いてしまい、峠の厳しさを教えられた…。更にこれら地域では最大の登坂距離と標高を誇る、奥多摩有料道路(懐かしい呼称でしょ←笑)は風張峠を攻めてみた。あえなく玉砕し押し登る事となった…。

こんな風に近場でサイクリング慣れした後、翌年には栃木県今市まで、初の二泊三日サイクリングを敢行した。当時サイクリツーリストの定番だったニッカーボッカを履きサイクルキャップを纏って、気分はすっかり一端のサイクリスト(笑)そしてこれまた当時の旅の宿の定番だったユースホステルを使ってみれば、何故か女子大生と相部屋になる始末(笑)これは何らかの手違い、或いは僕等が部屋を勘違いしたものと思われるが(だってユースで男女相部屋なんてあり得ないでしょ?)件の女子大生はこちらが子供であると判断したのか、あっさり同室を許してくれた。まあ『子供』といっても既に中学生だったもんで、実はもう出す物出してましたけどね(笑)←何を出してたの?

それからルート途上で『サイクルスポーツ』で取り上げられていた『ギターを抱えたサイクリスト』という人に遭遇したりした。また同じく『サイクルスポーツ』に掲載されていた当時の国体ロードレースコースを走ってみて

「こっ、これはきつい…」

と泣いたりもした(笑)とにかくこんな具合に四半世紀前の僕は、サイクリングに夢中になっていた。勿論ロードマンはノーマルのままではあらず、自分なりのコンセプトを以てクランクを『スギノマキシィ』に、ハンドルをランドナーバーに、ブレーキレバーを『吉貝 グランコンペ』に、前後ディレーラーを『シマノ 600EX』に、そしてペダルを『三ヶ島 シルバン トラック』に交換したりもした。『自分なりのコンセプト』とは言ったものの、その実気に入ったパーツをやたらめたら付けただけの、コンセプトもへったくれもない無節操な改造ですな(笑)

この頃になると、他の同級生達もN君に感化され自転車仲間に加わってきた。それ自体は嬉しい事だったが、彼等が駆る自転車は『ブリジストン ユーラシア』やら『ミヤタ ルマン』やら他にも色々あったが(忘れた…←笑)とにかくロードマンを凌駕する自転車ばかり…。しかも皆揃ってロードレーサーやスポルティーフばかりだった。当時の値段で7万から10万近くした高価な自転車を何故中学生が買ってもらえたかよく分からないが、とにかく

『サイクリストとしては僕の方が先達!』

という自負があった僕にとって、僕より高価なピカピカの新車で軽快に疾走する彼等の存在は(何せロードやスポルティーフですから…)羨ましくもあり妬ましくもあり悔しくもあった…(妬むな!)そして実際のところ、重量にして14Kg近くあるロードマンで彼等と走るのは些かきつかった…。決して決して僕が非力だった訳ではなく、自転車のポテンシャルの差が故のしんどさである!!(非力だったのね…)だから僕は新車購入を考えた。しかしロードマンを買ってもらってからまだ1年少々しか経ってなかったもんで、さすがに親に

「新しい自転車欲しいんだけど…」

とは言えなかった…。そこで考えたのは『サイクルスポーツ』の読者欄販売&交換コーナーである『売りたし! 買いたし!』を活用する事だった。本当この頃は、何から何まで『サイクルスポーツ』にお世話になりっぱなしだった(笑)





またまた続く…。
by shousei0000 | 2008-04-12 07:35 | アクア購入の軌跡 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://shousei.exblog.jp/tb/8368703
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]


<< ロード トゥ ロードバイク その4 ロード トゥ ロードバイク ② >>