改めまして…こんばんは…。
深夜2時台にノリノリでブログ書いている小生です(笑)
さっき挙げた投稿『レス…』がなっさんへのレスのみで終わってしまったので(また笑い)ド深夜にも関わらずかように改めて『その4』をしたため始めた次第…(うは…もう2時半だ…)
以下また『なっさんへの手紙風な記述』をして『福島での生活のソフトな部分』を皆さんにお伝えしようと思っているんですが、その前に…ちと1ネタ…。

こちらは前回の投稿でも挙げた漏れとなっさんの『愛の巣』なんですが(笑)見てお分かりの事と思いますが、これは一般に『仮設住宅』と呼ばれる建物です。
漏れとなっさんは『仮設』で二週間暮らしたんです。
これ自体が『得難い体験』で(『仮設で暮らす』なんて東京にいたらまずできない経験ですから…)それだけでも漏れは
「福島に行ってよかった…」
って思ったんですが、誤解を受けないうちに明記しておくと、この『仮設』での生活は『非常に快適』でした!
内部の写真をあまり撮らなかったので(『我が汚部屋の写真』しかない…←やっぱり『汚部屋』だったんじゃねえか!←呆れ)口頭で説明致しますと、玄関開けるとまずキッチンがあり、そこに冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ等が置かれています。
それに隣接する形でトイレとバスがあるんですが、味も素っ気もない『ユニットバス』なんぞではありません!
ちゃんとした『個々に独立したバスとトイレ』です!
バスは『追い焚き機能』を有していて『洗い場にも排水溝がある』タイプ…つまりは『ちゃんと浴槽に浸かれるお風呂』です!
それぞれの六畳間の居室が『独立していて』『施錠もできる』のは当然の事!
エアコンだって付いてました!
はっきり言って『ホテル並みの設備』…それは言い過ぎとしても『ちょいと値の張るワンルームマンション並みの設備』です!(『ワンルーム』ではないんですけどね)
物凄く快適に過ごさせてもらいました!
それが漏れの『福島から帰りたくない…』と思った一因でした(笑)

でも…『仮設』って最初っからこうではなかったみたい…。
これは漏れ達が応援に行った施設の施設長さんから聞いた話なんですが、漏れ達が暮らしたこの『仮設』は『二期目にあたるタイプ』だった様で、『一期目』…つまり『被災直後に建てられた仮設』は、もうちょっと設備が悪かった様です…。
まあ『設備が悪かった』というのは言い過ぎとしても、人が暮らしていくには…少なくとも『家族が暮らしていくには』色々と問題があったとの事…。
例えば…『一期の仮設』は『ユニットバス』だったそうです…。
つまりは…『トイレとバスが一緒』…。
家族で暮らす(複数名で暮らす)のに『トイレとバスが一緒』というのがどれ程不自由であるか…ちょっと考えただけでも分かりますよね…。
しかも…『ユニットバス』だから『洗い場に排水溝がなく』『追い焚き機能』がない…つまり…『浴槽に浸かれない』…。
『仮設』がいつ位に建てられ始めたか漏れは覚えていませんが(我ながら不勉強です…恥ずかしい…)東京より春が遅い東北ではまだうすら寒い気候の日もあった筈…せめてお風呂に浸かって一日の疲れを癒したい場面もあった事でしょう…。
でも…『一期の仮設』では被災者の方々のそんなささやかな願いすら叶えられなかった…。
季節が下って問題になったのは、今度は皮肉にも『暑い』事…。
『仮設』は『プレハブ造り』だから『気候の寒暖による影響が出やすい面がある』のは仕方ないっちゃ〜仕方ないんですが、それにしても『一期の仮設』はそれが顕著だったそうで、特に『トタンの屋根が熱せられる事による暑熱』はエアコンがあっても耐え難かったそうです…。
あと問題になったのは『プライバシー』の面…。
『仮設』は『長屋』的に造られた…つまり『世帯と世帯が直結した造り』だった訳ですが、プレハブだから『音の通り』がスッカスカ…。
これじゃあ『プライバシーの確保』なんて夢のまた夢…。
同世帯ならまだ『家族』だから『音の通りがスッカスカ』なのも耐えられるかもしれませんが、『長屋造り』だから『隣りの世帯とも直結してる訳』で、つまりは『隣家の物音もスッカスカ』…。
『隣りの世帯でこいた屁の音も聞こえるレベル』だったとの事…。
ん…待てよ?
施設長そんな事言ってたっけ?
『隣りの世帯の屁の話』は何か違ったような…。
あ…間違えた…。
『屁の話』は…レ◯パレスだ…。
「隣りの住人の屁の音まで聞こえる壁の薄さ…」
と嘆いていたのはいつかネットで見た『レオ◯レスでの話』だったわ(笑)
↑
被災地の話してるのに『屁の話』でしかもそれが『レオパ◯スでした〜(笑)』とか…不謹慎だろ!
↑
話が重くなってきちゃったもんでね…『◯オパレスでの屁の話』を織り交ぜて空気を変えようとした次第…。
でも…やっぱ『不謹慎』でしたよね…。
すみません…(平身低頭)

そうした『一期の仮設の諸問題』を受けて建てられたのが漏れ達が暮らした『二期の仮設』。
まあこの『仮設』が『二期の仮設である』と説明を受けた訳ではありませんが、『ユニットバスではなく追い焚き機能も有している』という事実から、漏れはこの『仮設』を『二期である』と判断しました。
『追い焚き機能がある』というのは人によってはとても感動的な事の様で、漏れ達の前任でこの『仮設』に暮らしていた女性介護士さんなんかは
「この『仮設』いいよー!」
「『追い焚き』なんかも付いてるんだから〜♪」
とはしゃいだ口調で漏れ達に説明してくれました。
まるで『自分の家を自慢するみたい』にね(笑)
後日漏れ達がこの『仮設』を後任の介護士さん達に引き継いだ際、漏れは住み慣れた我が家(二週間も暮らしたんだから最早『我が家』です!)を去る事への寂寥の想いとこの『我が家』を自慢したい気持ちがない交ぜになって、その後任介護士さん達に
「あのですね…『仮設』だからってバカにしてもらっちゃ困ります…」
「『追い焚き』だって付いているんだからぁー!」
と派手にぶち上げたのでした…。
はは…前任の女の子達とやってる事一緒だよ(笑)

おんなじ写真ばっか挙げて申し訳ないんですが…もうちょっとだけ『我が家自慢』させて♪
『トタン屋根が熱せられる事からくる暑熱問題』についても、我が家(笑)では全く感じる事はありませんでした!
備え付けのエアコンで充分に室温管理できてました♪
まあこれは漏れ達がいた時期が6月中旬から7月頭って事で『そこまで暑い日がなかっただけの事』だったのかもしれませんが、少なくても『うだる様な暑さに室内で身悶えした』という経験はなかったですね(そうだったよね?なっさん?)
『壁の薄さ問題』については期間中隣世帯に人が入らなかったので『隣家』については何とも言えませんが
『隣室のなっさんの部屋の物音すらろくに聞こえなかった事』
から『何らかの改善が図られていたのではないか?』と思います。
まあこれも『なっさんのマナーが故』である部分が多いだけなのかもしれませんが…。
(『テレビの音とかは一応絞って気を付けていました』となっさんおっしゃる…気遣ってくれてありがとね…なっさん♪)
漏れも一応『物音』については気を付けていたつもりだけど、明け方変な時間に目覚めて(4時とか…)
「仕事前にボードウォークで一回りすっか♪」
って気になって、その準備でゴソゴソした時はギシギシ物音していたかもしれない…。
あと…部屋でブログ書いてる際(0時から3時とか…)いつもの習慣でタバコ吸いたくなっちゃって(ブログ書いてる時の漏れはヘビースモーカーになる…)部屋と屋外を10分に一度位のペースで行き来した時には、ギシギシバタバタと足音なんかがしていた可能性が…。
なっさんにしてみれば
「ちっ!『ジジイが朝早い』ってのはこれはもうどうしようもない事だけど…何でこんな時間(前述したけど0時から4時とか…)からゴソゴソしてんだよ…」
「ジジイ!ゴソゴソすんな!!こっちは寝てんだよ!!!」
って感じだっかもしれないね…。
あの時はごめんね…なっさん…(また平身低頭)

はい、やっと写真が変わりました(笑)
これは前述施設長が案内してくれた南相馬市は鹿島区で見掛けたもので『三期目の仮設』と呼ばれるものです。
まあ先程から使っている『仮設の一期、二期、三期』って表現は漏れが便宜的に付けたものなので『三期目の仮設と呼ばれるもの』って言い方はちょっと変なんだけど(『全部でたらめ』って事じゃねえか!←呆れ)この『仮設』が『仮設の究極発展バージョン』であるのは本当の事!だと思う…(自信ないなら書くな!←また呆れ)
木材で造られているから『寒暖の問題』はプレハブよりは遥かにマシだろうし(『隙間風の問題はあるにせよ』だ…)世帯と世帯の間に僅かではあるが空間が設けられているから(この写真で分かるかな?)『プライバシーへの配慮』も『先行仮設』よりはなされているのでしょう…。
屋根は相変わらずの『トタン』に見えるけど…これも…多分何らかの改善がはかられていると思うよ(いい加減だな!←三度呆れ)

まあ何か適当な事書いてきちゃったけど…(認めたか!←呆れ)この『三期目の仮設』は…やっぱ良い!
『木材で造られてる』ってだけで何か『暖かみ』を感じる!
『プレハブの仮設』が文字通り『仮の住処でしかない…』って印象なのに対し、この『木材の仮設』は『仮の家屋ではあるけど…それでも人が住まう家!』って感じがするもん♪
でも…やっぱ『仮設は仮設』なんだよね…。
そして…『仮設の使用期限』は確か『来年まで』と説明に聞いた…。
『使用期限』については不勉強で申し訳ないけど、どっちにしても『仮設』は『2年程度の使用を想定した応急家屋』なのだそうな…。
二週間済んだ漏れが
「思ってたよりずっと住み心地良かったよ♪」
と感じたのは嘘じゃないけど、決して『恒久的に住む家』じゃない…。
じゃあ『恒久的に住む家』ってのはどういうものかというと…

こういうものさ!
『復興住宅』というものだそうな!
これなんかは平屋で造りも小さくて取り様によっては『仮設の延長』に見えなくもないけど、ちゃんとした住宅資材使ってて屋根も綺麗に葺いてて玄関なんかもお洒落な開き戸なのを目の当たりにすると
「やっぱ『仮設』とは違う…」
って思うよねぇ〜。
(『仮設』の玄関はカラカラって引き開く物置みたいな『引き戸』なんです…そこに違いを感じて敢えて話題に挙げた次第…)
「これぞ『恒久的に住まう家』…」
って思うよねぇ〜。
話題は飛ぶけど、かつてリーマンショックの折りに『派遣の方々の問題』が浮き彫りになった際
「まずは『住む処』がないと…」
みたいな話になったけど、地震と津波の被害に加えて他地域にはない『原発の問題』まで抱えている『フクシマ』の被災者にとっては
「まずは『住む処』がないと…」
というのは本当に切実な問題であると漏れは思う…。
様々な風評飛び交う『フクシマ』であるのに、敢えてその地を離れる事なくその地での『復興』を願う方々…。
そんな人々にせめて『住む処』位は与えてあげたい…与えてあげて欲しい…。

二階建ての『復興住宅』…。
これなんか完全に『家』だよね…。
東京にいると被災地の事とか中々分からなくて、人によっては
「『復興』『復興』って言うけど…あれからもう3年以上経つんだから、そろそろ『公的支援』にばっか頼るんじゃなく『自助努力』も必要なんじゃないか?」
「実際、自力で被災地を出て家借りたり建てたりして生活再建してる人も大勢いる訳だし…」
なんて考える人もいるかもしれないけど、やっぱそんなに簡単な事じゃない…。
殊に『フクシマ』に於いては…。
『被災地を出る』って一言に言うけど、若い人ならともかく年配の人にとっては『地域を変える』って大変な事だよ…。
『景気が良くなってきた』って世間では言うけど、じゃあ50歳代以上の人がそう簡単に新しい仕事に就く余地が今の日本にある?
ないでしょう?
だから『大変』な訳…。
それに…かの地の人達は『フクシマ』であっても己が故地を愛してる訳…。
漏れがお世話になった施設の若い職員さんなんかも言ってたもん…。
「ここが好きです!」
「ここにいたい!」
「仙台とか東京にもいた事あるけど騒がしくて…やっぱ地元が一番ですよ♪」
と…。
年配の人も想いは同じ…。
東京都下に避難した経験を持つ年配男性の話を聞く機会があったんだけど、その方は『東京にいても情報が全く入ってこない』って事で、己が地元に比較的近い南相馬市に戻り住んだそうな…。
そこで情報を取りつつ、いつかは生まれ育った双葉町に戻る機会を伺っているそうな…。
『双葉町』っていったら…原発所在地の大熊町の北隣の町…。
いつ戻れるか知れない…もしかしたらもう二度と戻れないかもしれないのに(少なくとも我々の世代では…)その方は故地から20km程離れた南相馬市に居を構え、そこで情報を取りながら『再び還れる日』を伺っている…。
「俺…海の無い所は嫌なんだ…」
その方は笑ってそうおっしゃった…。
津波の被害を受けそれではるばる東京都下に避難したのに、それでも『海の無い所は嫌なんだ…』と言い原発に程近い双葉町への帰還を目指す…。
この辺の感覚は正直漏れにもよく分からないんだけど、それ程に『故郷』ってものは人の心に根差しているものなんだろうね…。
だからそう…『簡単じゃない』…。

南相馬市鹿島区の『復興住宅』の景観…。
今はまだ『真新しい家が並んでいるだけ』に過ぎないけど、この車が停まっている所の空地に花壇なんかが設けられ花が咲き子供達が笑いさざめき走り回る様になって、次第に『街』に戻っていくんだろうね…。
この地で『復興』を目指す人達は必ずしも『地元愛』だけでこの地に留まる訳じゃない…。
『仕事の都合』で踏み止まる人も大勢いる…。
「『仕事』なら…他の地域でもできるじゃないか…」
そう思う人もいるかもしれないけど、じゃあ今回漏れがお世話になった老人ホームなんかをそう簡単に他地域に移せますか?
『帰宅困難区域』や『避難指示解除準備区域』ならともかく『その外にある施設』なんですよ?
それでいて『避難指示解除準備区域の外延の地』なんですよ?
『危険がある』とされている地域のすぐ外にある地…具体的に言うと『原発から20km圏外』だ…『危険がある地の外』だから『人が住んでもいい地』とされていて、当然の事ながら大勢の人が住んでいる…勿論お年寄りも一杯いる…。
そうしたお年寄りをみる施設がその地に不要ですか?
もしも不要だとして…というより『もっと安全な地に移す』として、その費用は誰が出してくれるんですか?
『避難指示解除準備区域』ですらないのに『公的資金』が投入されるんですか?
仮に投入されるとして、『もっと安全な地』とはどこですか?
誰がその地を探してくれるんですか?
無理でしょう?土台からして無理な話だ…。
だから…かの地の福祉従事者はそこに留まる…。
それどころか…新しい施設ができてもいる…。
(南相馬市小高町に新設されたグループホームを見学する機会がありました…また、まだ住人が戻るまでには至っていない小高町中心地で再開準備をしている特養も見せてもらいました…)
情緒過多な言い方だと分かってはいますが、漏れはかの地の福祉従事者の方々を
『原発最前線で身を挺して闘う福祉の防人』
であると思います…。
そんな人々に…せめて『家』を…。
そして…気休め程度にしか過ぎないかもしれないけど『早急な海辺までの除染』を…。
(『除染の現状』も見せてもらいました…山から順に『除染』しているんですが、海岸線まではまだかなりの距離がある様でした…案内してくれた施設長は『丘陵地を除染中の光景』を指差し「俺ん家に『除染』が来るのは一体いつになるんだっぺ」と苦笑いしながらおっしゃってました…)

「あ…『仮設』…」
「山ぁ〜控えたところに『仮設』って…これどこの『田舎』よ?」
と感じる方もおいでかと思いますが、これ…福島県の県庁所在地『福島市』での光景なんですよ!
『県庁所在地に【仮設】がある』というのは『県の努力の姿勢の賜物』なのかもしれませんが、漏れの目には
「『県の中心地』に『仮設』がある様では『地方』の状況は推して知るべし…」
「『福島の復興』はまだまだ遠くありにけり…」
と映りました…。
ここは見た目程『田舎』ではありませんが、市内中心街からはやや離れた所ではあります…(車で10分位…)
付近にコンビニは何軒かある様ですが、大型スーパーとかからはちょっと距離がある模様…。
「もうちょっと便利な所に建ててあげればいいのに…」
正直そう思いました…。
まあ何事もそう簡単にはいかないとは思いますが…。
因みに…案内してくれた人の話によると、この仮設の至近に『放射能関連で亡くなった可能性のある学生がいた高校がある』とかで、その方は
「こんな場所に『仮設』建てるなんて…」
「そういう意味でも県は無神経ですよね!」
と言っておられました…。
その件(放射能による学生の死)の真偽は漏れには分かりませんが
『【フクシマ】はその中心地に至るまで色々とややこしい事情を抱えている』
という事だけは感じました…。
『原発問題が起こってから急に人が変わった様になって国会議員にまでなった元俳優さん』がいますよね?
漏れはあの方について詳しくないし、その数々の不思議な言動から
「エキセントリックやなぁ…」
位にしか思ってなく今もそれは変わらないんだけど
『福島に行った事で「何かしなきゃ!」と思った』
という点についてだけは、今回自分が行ってみて
「なるほど…そう思うわなぁ…」
と感じました…。
だからっていきなり『首相官邸前での反原発デモに参加する』なんて事はしないけど(笑)
「何かしたい…してあげたい…」
とは痛切に思いました…。
いっそ今の仕事辞めて福島に移住して介護士やれば上記した漏れの想いは充足されるんだろうけど、そこまで突飛な行動はできんわなぁ…。
今回はあくまでも『応援さん』として極めて限定された『介護』に従事しただけで、向こうで『正規の介護士』になったら何事もそう簡単にはいかないだろうしね…(『仕事としてはできる』でしょうけどね…だって今だって現実に『介護士』してるし…)
「何ができるかは分からないけど…とりあえずこれからも『興味を持ち続けて』いこう…」
「そして…与太話も混ざるとは思うけど(笑)今回行って『見た事』『聞いた事』『感じた事』を拙ブログに綴っていこう…」
そう思いながら『アスパラの国』を去ったのでした…。
続く…。
(今回は途中から『ハードな展開』になっちゃいましたね…本シリーズではあくまでも『福島でのソフトな思い出話=なっさんとの笑える思い出話』のみを綴るつもりだったのに…次回からその線に戻ります…『ハードな展開』は『またいずれ』ね…因みに…この投稿書くのに6時間かかりましたとさ…←締め鬱)