え〜先日書いた『その6』からの続きです…。
あれ書いた日漏れは夜勤明けで、一眠りしたとはいえ夜勤明けのテンションで、しかも最終的には深夜2時過ぎにまで至ったという状況の中書いたものなので、後から読み返してみたら些か分かりにくい…(恥)
ちょっと話を整理してから先に行く事にしよう…(また恥)
この画像挙げるの何度目かね…(三度恥)
まあこの画像には『漏れなりの川っぷち観』『川っぷちを走る時の理想』的な事が書かれているから何度でも引用するのだが(笑)この中に書かれている『理想』の殆どが『ルートの把握』と『路面状況の把握』で果たされ事を先日の投稿で書いた…。
果たされていないのが『豊かで』の部分…今回も便宜上『豊かに』に置き換えよう…のみである事も先日の投稿で書いた…。
そしてその『豊かに』の部分…『川っぷちを豊かに走る』という事だ…を満たすには何があればいいかという事について…
漏れはこんな一文を挙げた…。
この一文が『前回の骨子』…。
即ち『道中をどう楽しむか?』『途中通過地や目的地で何を味わうか?』という事…。
この二つのうちの『道中をどう楽しむか?』という事について、漏れはひとつの答えとして『アベレージ』を挙げた。
『単調で変化に乏しい川っぷちを走る』という事を定期的に繰り返すとすれば、そこに『楽しみ』を求めるには『自分の中で探る』しか他に術はない…。
即ち…『アベレージ』…。
『風』というその日々変わるファクターがあるとはいえ『同じコースを繰り返し走っている』のだから、そこに生じる『アベレージ』を見る事は確かに『楽しみ』になるであろう。
「うひょー!今日はアベレージ速えぇ〜♪」
「うわ…今日のアベレージ酷えぇ…何で…」
てな具合にね(笑)
でも…これは自転車乗りなら誰でもやっている事…。
『漏れだけがやっている事』『漏れのオリジナル』という訳では決してない…。
だから『アベレージを見る事』を以って『道中をどう楽しむか?』という事の答えにするのは些か弱い…。
そんなんみんなやってるからなぁ…。
みんなアベレージ見て一喜一憂しながら川っぷちを走っているからなぁ…。
希少価値を主張する程の事じゃないんだよ…『アベレージを見る』なんてのはさぁ…。
えっ?何ですか?
ふんふん…ほうほう…ほほう…ええ〜ッ!
みみみみ、みんなアベレージとか別に見ていないのォー!?
見てたとしても別に大して気にしていないのォー!?
うっそぉ〜ん!?
↑
本当だよ!
アベレージなんか一々見ちゃいないし、仮にちょっと見たとしてもそれで『一喜一憂』なんかしちゃいねえ!
アベレージなんかとどのつまり『その時々のひとつの結果』に過ぎないものだろう?
そんなもんに何で『一喜一憂』するんだよ?
しかも…別に特筆する程速い訳でもないのに…。
↑
何言ってんの…。
『特筆する程速い訳でもない』からこそ気になるんじゃないですか!(逆ギレ)
与太話が過ぎた…申し訳ない…(詫び)
でも…漏れが言いたい事は分かったでしょう?
つまり
『アベレージを見る事が川っぷちの道中を楽しむ事に他ならない』
という牽強付会な論旨を張ろうとしている訳ではない事を分かって欲しかったのだ…。
じゃあ…何だ?
何を以って漏れは『川っぷちの道中を楽しんでいる』のか?
その答えは…ある…。
『アベレージを見る』という誰でもやっている事ではない(他の人はやってないんですけどね←笑)『漏れオリジナル的なもの』が確かにある…。
それをこれから皆に証明しよう…。
その証明はたった一枚の画像でいともたやすく果たされる…。
繰り返すよ…『たった一枚の画像』でだ…。
この画像で全てはひっくり返る…。
『漏れが川っぷちを楽しんでいる事』が完璧に証明され、おまいらは驚天動地の想いの中それを首肯して深々と頷く事になるであろう…。
目ん玉かっぽじってよ〜く見ろよ…。
これが『漏れが川っぷちを楽しんでいる事を証明する写真』だァァァァァーーーッ!!!
これだァァァァァーーーッ!!!
↑
何なのこの何の変哲もない写真!?
この写真はね…『分岐点の写真』だ…まあそれは見れば分かるわな…。
本当は逆サイドからの写真…入間大橋から走ってきた場面での写真…を載せたかったんだけど、それがなかったからこっち向きの写真…ホンダ側から来た写真…でお茶を濁した…。
この写真で見ると左手が榎本牧場に向かうルートで、右手手前に折れているのが『出丸ショートカット』に繋がる道…。
直進すると入間大橋だし、その右手のちょっと下ってるっぽい道はすぐに入間大橋への『本線』に戻る…。
おまいらこの分岐何本に見える?
えっ?五本!?
そう…『五本』だ…所謂『五叉路』だ…誰が見たってそう見えるわな…。
ところが…ところが…
ところが漏れはこの『五叉路』を『疑惑の三叉路』と呼んでいるのだァァァァァーーーッ!
↑
何なのその変な名前!?
何で『五叉路』なのに『三叉路』!?
ここを『疑惑の三叉路』と呼ぶ様になった言われは今は書くまい…。
『漏れがそう呼んでいる事実』だけを分かってもらえれば十分だ…。
どうしてもその言われを知りたい人は、拙ブログ2009年5月7日付記事『4月28日の走行 続き』をご参照頂きたい…。
とにかく漏れはここを『疑惑の三叉路』と呼んでいる…。
『五叉路』なのに『三叉路』だよ!
しかも頭に『疑惑の』とか付いちゃうんだよ!
おかしいじゃん?変じゃん?バカバカしいじゃん?笑っちゃうじゃん?
でも漏れにとってここは確かに『疑惑の三叉路』…。
思い出があるんだよ…それもどっちかって〜と『苦い思い出』…。
ここ来るとそれ思い出して必ず呟くんだ…。
「あ…『疑惑の三叉路』…」
と…。
他にも幾つかそういうのあるよ…。
例えば…『出会いの泉』…。
(『泉』なんか勿論ないよ!CR沿いにあるただの自販機です←笑)
例えば…『入間版喜びの白い道』…。
(入間川CRにある桜並木の事…因みに…『入間版』って呼んでいるけど実はエリア的には狭山市…←苦笑)
例えば…『風見煙突』…。
(『出丸ショートカット』んとこにあるクリーンセンターの煙突の事…この煙突からの煙の向きを見て「うわ…逆風…」「うひょー!順風〜♪」と一喜一憂する←笑)
例えば…『苺ガスタンク』…。
(桜堤公園先にある苺の絵が描かれたガスタンク…ひねりないよね←笑)
まあ他にも色々あるんだけど(笑)そうした変な名前(また笑い)付いてるエリアには様々な思い出があって(大した思い出でないのは言うまでもない←三度笑い)そこ走る度に漏れはそれ思い出して、ちょっと笑ったり悔しがったりほっこりしたり泣いたりするんだね…(泣く事も…あるのか?←泣く事は…さすがにない…←嘘書いてんのかよ!←呆れ)
それは即ち…『ドラマ』…。
『単調で変化に乏しい川っぷち』に『思い出』という名のドラマの花が咲く…。
本来は無いんだよ『ドラマ』なんて…。
これまで何度か書いてきたし今もまた書いたけど、『単調で変化に乏しい川っぷち』には『ドラマ』は無い…。
これもまた自分で書いた事だけど、まさに
>山の男神は来る者に一律に福音を与えるが、川の女神は自らを助くる者しか助けない。
という言葉そのままだ…。
『山』は自ずから『ドラマティック』だからね…。
行けば誰でも『ドラマ』を見る…。
でも『川』はそうではない…。
最初は
「うわー!ここがローディーさん方のブログによく出てくる入間川CR or 荒川CRかー!」
「俺もついに来ちゃったよー!感激ー!!」
てな感動があるし
「水辺の景色が気持ち良い〜♪」
みたいな喜びもあるが、何度か通えばそんなの一々感じなくなるし、単調で変化に乏しい道に飽きてくる…。
Bpsさんがおっしゃる
『川っぷちは起伏がないからつまんないですよ』
という言葉はまさに正鵠を得ている…。
でも…ドラマが無いなら『作れば』いいじゃん!
『自分なりの川っぷちの思い出』を思い起こしながら走ればそれが『ドラマ』になるじゃん?
それこそが我が言葉である
>川の女神は自らを助くる者しか助けない。
という事になると思うし、それを指して『川っぷちを楽しんで走る』という事だと思うんだ!
川っぷちのドラマは『自分で作る』んだよ!
山の様に『行けば必ず降ってくる』訳ではないんだよ!!(ちょっと牽強付会かな…)
でも…その域に達するには(ちょっと偉そうかな…)『繰り返し行かなきゃダメ』だよ!
『たま〜に川っぷちに行くだけ』じゃダメだよ!
川っぷちは本来『つまんないとこ』なんだから(笑)
何度も繰り返し行く事で『思い出』ができ、その『思い出』が『ドラマ』になって『楽しんで走る事』に繋がり、いつしか『川っぷちを豊かに走る』という域に達すると思うんだ!
この夏二ヶ月に渡って川っぷちばかり走った漏れ(川っぷちしか走らなかった漏れ…)が言うんだから間違いない(笑)
川っぷちは本来『何度も繰り返し行くべきところ』ではない…。
その理由は先にもBpsさんの言葉を引いた通り『つまんない』からだ…。
『起伏がなくて』『単調で変化に乏しい』から『つまんない』んだ…。
でも…『何度も繰り返し行く事で楽しくなる一面』もある…その理由はここまで書いてきた通り…。
不思議だよね…矛盾してるよね…おかしいよね…。
でも…『それもまた真実』なんだ…。
この夏二ヶ月に渡って川っぷちばかり走った漏れ(川っぷちしか走らなかった漏れ…)が言うんだから間違いない(締め笑い)
続く…。
(あとちょっとで終わりそうなんだけど長くなったので一旦切ります…)