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『あの日の選択』を悔いる…その11。

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『小田原城包囲戦』は『ヤバい戦い』だった!

その戦いは『戦略的にも戦術的にも北条方にとって詰んだ状態』で始まった!

俺は日本史にはそれ程明るくない…故に『小田原城包囲戦』について今回改めて調べてみたら『身の毛のよだつ戦い』だった…『身の毛のよだつ』と言っても『残虐な戦いだった』ゆう意味ではなく『一方的な戦いだった』ゆう意味…小田原城での戦いは『ほんの3ヶ月程度で終わった』そうな…勿論北条方の完敗…。

折角調べたのでここにその成果?を些か開陳する…基本的に朝の投稿に挙げたサイト『戦国時代勢力図と各大名の動向ブログ』さんからの引用である…(恥)

それではまあぼちぼちと…(このくだりはなるべく早く終わらせねば…←漲る決意!)






















































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まずは『戦力の対比』をば…件のサイト『戦国時代勢力図と各大名の動向ブログ』さんのコピペである…(恥)

豊臣方の戦力は上のコピペ(恥)の通り…合算すると驚異の『22万』になる…途方も無い兵力に目が回りそう…。

それに対して相手方である北条方の戦力は…








































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『これ』…敢えてこういう言い方をすると『たったこれだけ』…。

『5万2千』だって普通に考えればとんでもない兵力なんだけど、さっき挙げた豊臣方の『22万』に比べると圧倒的に見劣りがする…『1/4以下』だからなぁ…。

軍事の定説として『攻撃3倍の法則』ゆうのがある…『攻める側は守る側の3倍の兵力は持たないと勝利は覚束ない』ゆう意味…ましてや要塞(城)を攻めるとなると尚更か…。

豊臣方は北条方の4倍強の戦力を整えた…小田原城自体を攻めるのに如何程の戦力を用意したのかは俺には分からないが(恥)戦線全体を通しては『4倍強の戦力』を用意した…しかも『戦略的にも戦術的にも包囲した状態』…豊臣秀吉コエ━━━━((((;゚Д゚)))))))━━━━ッ!! 

で…その『城攻めの布陣』が…













































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『これ』…これホントどうしようもねえな!『詰んでる』じゃん!!

戦略的にも戦術的にも『包囲』で単なる城攻めとしても『包囲』で、こんなん俺から見たら朝の投稿にも書いた通り『無理ゲー』『詰んでる…_| ̄|〇』としか思えないんだけど、そんな状況にも関わらず北条方が開戦したのには『多少の理由』があったらしい。

そらそうだ…勝算が全くなければ北条方も戦さは始めまい…『籠城戦』ともなれば尚の事そう…。

北条方の勝算のその①は『小田原城の堅忍不抜さ』によるもの…この城は巨大で城内に耕作地等も含み『長期間に渡る籠城戦を行うポテンシャル』があったらしい…過去にあの武田信玄や上杉謙信の軍勢を退けた実績も持つそうな…(と書いてあったように記憶している…)

しかし『籠城戦』は籠城戦である…『籠城戦』というのは基本『城外で呼応して戦ってくれる戦力』があって初めて成立する…北条方は小田原城に籠城する時に『関東一円の麾下の戦力』を城に集めたらしい…つまりは『城外で呼応して戦ってくれる戦力』には乏しい…事実豊臣方の諸将に各個撃破されている…『北条方の勝算』は何処にあったのか…。

北条方の勝算のその②は『徳川家康や伊達政宗がいずれ折れてくるだろう』という事…らしい…。

堅忍不抜の小田原城で長期の籠城戦をしていれば『今は豊臣方だが、元々は北条氏と縁戚である徳川家康』や『豊臣秀吉の支配に態度を保留していると思しき伊達政宗』が折れてきて和睦の道を開いてくれる…そんな目算があったらしい…。

勿論そんな事にはならず小田原城は3ヶ月で開城するに至るんだけど、その『北条氏の降伏』のきっかけのひとつになったのが上の画像左下に見えている『石垣山一夜城』だそうな…ここは奇しくも俺がその昔一度だけ参加した『200kmブルベの折り返し点』である…嗚呼懐かしい…(遠い目)

このくだりスーパー長くなったので(笑)上の画像を再掲して改めて語るね(笑)













































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この画像の左下に見える『石垣山一夜城』に注目して欲しい…『豊臣秀吉本陣』でもあるそうな…。

「あ、そうなんだ」

「じゃあ今度自転車で行ってみようかな?」

などと軽々しく思わない方がいい…ここは距離はそんなに長くはないけど『かなりの斜度の登り』がある…細かいデータは忘れたけど俺は前述のブルベの時に登って泣きそうになった…(恥)

標高は200mにちょい足りない位なんだけど、200mは200mだけど『海の間近の200m』だから『ほぼほぼ0mから登る』ゆう事になる…あのブルベん時俺マヂで怒ったわ…。

「何で折り返し点でこんなに登らせるんだよ!」

と…同行してくれた某猊下は余裕で登っておられたが…。

『海の間近の標高200m近い高台』だから眺めは最高でそれこそ『小田原城を見下ろせる位置』だったと思うんだけど、そこに1590年のある日忽然と『一夜城』が出現したもんだから北条方はビックリ!…というのは『伝説』なのだそうな。

4万人もの人夫を動員して作った城だから北条方も作っているのは知っていて、1590年のある日囲んでいた木々を切って姿を現した『一夜城』を見ても『まさか!?』とか『いつの間に!?』とは思わず『やっぱり…』と思ったのだそうな。

ただ『その規模は想定外』だったらしい…いざ目の当たりにしてみたら『ちょっとした砦』や『付け城、支城の類い』ではなく『城壁を巡らせた本格的な城郭』で焦ったそうな…その時の北条方の気持ちをドルヲタ的に表現すると

「ちょ!『ガチ勢』じゃん!!」

「『付け城や支城の類い』と思っていたのに『ガチ城』じゃん!やっべー!!」

「こんな『ガチ城』作るとか秀吉本気じゃん!『何年かかってもええんやで♪』ゆう事やろ!?テラワロス…」

「家康も政宗もサパーリ内応してこない…この戦いオワタ…_| ̄|〇」

となる…『何でドルヲタ的に表現するんだよ!?』という質問はしないで頂きたい…(笑)

まあそんな感じで?最終的にではないと思うけど、この『石垣山一夜城』の出現と家康や政宗の動向に鑑みて、北条方は『ダミだこりゃ…_| ̄|〇』と思って3ヶ月で開城のやむなきに至ったらしいよ!(『ダミだこりゃ…_| ̄|〇』とは思わなかったのでは!?戦国時代なんだからさ!!←呆れ)

























































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このくだりは『海上封鎖』についてだけ述べるつもりだったのに…何でこんなに長くなったのか…(哀)

前々回の投稿で触れた『豊臣方の水軍による相模湾の海上封鎖』…小田原城を臨む湾に豊臣方の水軍が押し寄せたらしい…。

俺は『戦国期の水軍』ゆうのを全然知らなくて

「どんな船で押し寄せたのかなぁ〜?」

と軽く思って検索してみたんだけど、そしたら『こんなん』が出ちゃってさ…『安宅船』(あたけぶね)というものらしい…結構でかい…船の上に家屋みたいのが本当にあったのかは俺には分からない…。

ただ『重要なポイント』として『銃眼』はあったらしい…『火縄銃を揃えてダダーンとやって敵の船を沈める』とかは本当にできたらしい…。

あと『大筒』(大砲)も一門だけではあるが搭載していたらしい…その射程は『50m』というから『小田原城目掛けて艦砲射撃』ゆうのとはちょっと違ったと思うが、それでも『銃眼からダダーン!』『大筒ドーン!』とやられたら北条方は随分めげただろうな…『オワタ…_| ̄|〇』『無理ゲー_| ̄|〇』と戦意喪失しただろうな…ほんまに秀吉はんのやる事はどこまでもえげつねえ…━━━━((((;゚Д゚)))))))━━━━。

とまあ…ここまでの事はあの日は知らなかったのだが…



















































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2018年10月7日の午後…それは15時過ぎ位の時間帯だったのだが、俺は『石田堤史跡公園』にあったこの『小田原征伐時の関東』という図を見て

「うわー!『各個撃破』!!」

「うわー!『完全包囲』!!」

「ひえっ!『海上封鎖』までしとるんかい!!」

と驚きプルプルとその身を震わせていたのでした…秀吉はんのやる事はほんまえげつねえ…容赦ねえ…。

「来てよかったな…」

と思った…。

この日は『ペリーニ アダージオの秋のバーベキューの日』で、俺はそれに『ぼっち』で参加する勇気がなく『ぼっち回避』したのだが(恥)その結果今までちゃんと理解していなかった『豊臣秀吉の小田原攻め』について知る事ができたんだから『これはこれで良し!』と思った…『負け惜しみ』ではない…少なくとも『この時点』では…。

そしてその頃…ペリーニのバーベキューが行われている『アグリパーク伊勢原』では…




















































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『仔豚の丸焼き』がこんな風に旨そうにこんがりと焼き上がっていたのでした…。





















続く…。
(本シリーズが『石田堤サイクリング』と『ペリーニの秋のバーベキュー』を行き来する『同時二元中継的なもの』である事…皆さんはもうお忘れですよね…ここから暫くは『ペリーニのターン』になる…『俺が参加した春のバーベキューの写真』を用いて『行かなかった秋のバーベキュー』について暫し語らせてもらいます…)

by shousei0000 | 2018-11-05 19:02 | ペリーニ アダージオ


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