『あの日の選択』を悔いる…その28。

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橋の名を『堀切橋』と言う…そんなに大きな橋ではない…たまたま通りかかって通り過ぎていった白い軽トラ(写真に写ってますよね)と見比べて橋のサイズを体感してくれい(笑)

前回の投稿に書いた通り『名栗にある文化財っぽい橋』を想わせる…事実『共通項』があった…両者は共に『土木遺産』である…。

俺の勘も満更捨てたもんじゃない♪カレーについては『その勘』は全く働かなかった訳ではあるが…(哀)

名栗のあの橋(名前何でしたっけ?)もこの『堀切橋』も共に『土木遺産』である…でも…名栗のあの橋(今度名前を確かめに行こう←笑)はともかくこの『堀切橋』については、『土木遺産』に制定された理由は『橋の造り』が全てではないのかもしれない…。













































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『堀切橋の説明書き』をもう一度載せる…この説明書きの下の方に『橋の名前の由来』が記されている…。

>戦国時代に石田三成が忍城を水攻めにした際、この付近で石田堤が破堤した事が由来とされている。

とある…俺はこの説明書き見る前から既に知っていたけどね♪(豪語←笑)

石田堤によって『水が満たされた場所』ができた…これを当時の忍の民は『堀』に見立てた…。

その『堀』が台風による増水で切れた…『決壊』した…『破堤』した…。

それによって奇手に大きな損害が出た…『人死』も出た…それを悼んで…かどうかまでは分からないけど、それを伝え聞いた忍の人々はいつしかここを『堀が切れたところ』という事から『堀切』と呼ぶようになったと…そういう事なのだろう…『堀切に掛かる橋』だから『堀切橋』になったのだろう…。

その故事が『土木遺産になった理由』という事はないだろうけど(『土木遺産』は土木遺産ですからね)その故事があるから『この界隈の人々に語り継がれる場所になった』という事はあるだろう…戦いと水害の歴史から名付けられた『堀切』という地名…『過去と現在は続いている』『歴史というものは連綿と続くもの』という事を改めて考えさせられた…。

「時間は押しているけど…ここまで足を伸ばしてよかった…」

と思った…まあ足を伸ばしたおかげで『帰りは夜になった』けどね…(思い出し哀)

『堀切橋』を見た事で満足してもう帰ろうと思ったんだけど(時間が押していたので…)『堀切橋の先』に何かがありそうな雰囲気がして、勘の鋭い俺(その勘はカレーには効かない←笑)はフラフラと『その先』に進んだんですね。

そしたら…やっぱありましたよ『見るべきもの』が!










































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日本よ…これが『本物の石田堤』だ!!!
何このよく分からない言い回し!?(締め呆れ)



















続く…。
(狭山市駅に着きました…アパートに帰ります…本当に先が見えてきた!あと4話位かな♪←まだそんなにかかるんかい!?←再締め呆れ)

by shousei0000 | 2018-11-23 21:00 | ペリーニ アダージオ | Trackback | Comments(0)
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