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秩父三十四ヶ所! 第一夜 その7

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さてさて前回からの続きですが、未舗装の『江戸古道』をロードバイクを押したり引いたり担いだりして下るという愚行快挙を成し遂げた小生は、やがて二番札所納経所である光明寺に辿り着くきました。それが上の写真なんですが
山門がなくフラットに見渡せるエントランスに
(ま~たお寺に相応しくない表現・・・マンション広告の煽り文句じゃないんだから!)
すっくと仁王立ちする一対の金剛力士像が出迎えてくれて迫力満点!
そして境内に敷かれた玉砂利をザクザク踏み鳴らしながら、本堂へと向かいました。



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       光明寺本堂。



ここで一礼合掌し更に納経朱印を済ませ、さてそれでは三番札所へ行こうかとアクアに歩み寄った時、一台の観光バスが小生とアクアの傍に停車しました。そこからドヤドヤと降り立ったのは、藁笠と白装束に身を固め金剛杖をついた20名程の一団。白装束の背中には『観世音菩薩様といつも一緒ですよ』という意味である『同行二人』の文字が躍っています。そう!それは遥々四国から来た(バスにそう書かれていた)お遍路さんのご一行だったのです!


「へえ~これが所謂『お遍路さん』かぁ~」


小生は失礼にならない程度に、その一行を眺めやりました。年齢層は下は50代位から上は80代位までといったところか?皆さんお遍路の装束がとてもよくお似合いです。お遍路の大本場である四国からわざわざここ秩父まで来たという事は、四国八十八ヶ所はとっくに巡り済みなのでしょう。その四国巡拝の中でお遍路の魅力に魅せられて、それでこうして一団を組んで秩父のお遍路にも手を染めたというところなのでしょう。言わば『お遍路の大ベテラン』です!それだけに皆さんの所作(しょさ)のひとつひとつが絵になり味わい深いです。


その中でも、小生はある一人のおばあちゃんの合掌に心打たれました。『おばあちゃん』といっても70代位のほっそりとした上品そうな女性だったのですが、他にうまい表現が見つからないのでここでは『おばあちゃん』で通させて頂きます。それでそのおばあちゃんの合掌が何というか・・・とっても雰囲気があるんです!これまたうまい表現が見つからないのですが、とにかく見ていて温かい気持ちにも優しい気持ちにもなる合掌だったんです。思わずそのおばあちゃんに手を合わせたくなる様な・・・そんな慈母観音を思わせる様な女(ひと)だったんです。


それはきっとこういう事ではないかと思います。そのおばあちゃんはこれまでの人生の中で、きっと幾度となく合掌してきた事でしょう。苦しい時、哀しい時、つらい時、或いは逆に嬉しい時、楽しい時、願い叶った時などにも、おばあちゃんは必ず手を合わせてきたのでしょう。それは『苦しい時の神頼み』『他力本願』などというものではなく、自分で出来る事を全てやった上での、自分の義務と責任を全て果たした上での事であったに違いありません。『人事を尽くして天命を待つ』そういうものであったと思うのです。


そうした自助努力を尽くした人には、必ず救いの手が差し伸べられます。それは神やら仏やらの手ならぬ、周りの人からの支援の手です。或いは励ましの声です。それは一生懸命、最大限の努力をした人にのみ与えられる・・・。現在開催中のオリンピックで活躍した選手のエピソードを見ると、そうした事例がとても多い事に驚かされます。人は独りでは生きていけない・・・誰かに支えられて、そして時には誰かを支えて生きていく・・・。


いくら真摯に寺社に詣でて石仏に祈りを奉げてみても、それだけでは何も変わらず生まれません。寺社は木造の建築物に過ぎず、石仏は単なる石の塊以上の存在ではないのですから・・・。また『合掌』という行為も、それ自体は『手と手を合わせる』というだけのもの。
我々人間はウルトラマンではないのですから、手と手を合わせたところで、そこからスペシウム光線が出たりはしないのです(なんじゃそりゃ~ッ)
それでも人が手を合わせるのは、自らを省みる作業としてではないかと思います。


「自分は己が義務を尽くしたのか?」


「本当にもうこれ以上はやれないのか?」


人は合掌を通してそれを確認し、本分を尽くしたと思えば結果を待つべく心を静かにし、まだ足りないと認識した時には、もう一度更なる努力を重ねるのでしょう。諺にして言います・・・『神は自らを扶くる者を助ける』と・・・。


話が大分飛びましたがおばあちゃんの話に戻しますと、おばあちゃんの合掌に雰囲気があったのは、きっとここまで述べてきた『正しいあるべき姿での合掌』を重ねてきた人だったからなのでしょう。しかるべき努力をんでその上で自己確認としての合掌をして、その結果当然様々な人々の支援や庇護を受ける事となり、そこに仏の加護を感じてまた感謝の合掌をする・・・。そうした在り方を数十年に渡って続けてきた結果、彼女の合掌は風雪星辰を経て磨き抜かれたものだけに見られる、いぶし銀の様な輝きと魅力に満ちたものになったのでしょう。


「だからだったんだなぁ・・・おばあちゃんの合掌がこんなにも心を打ち染み入るのは・・・」


小生はそう感じ入りました。やるべき事をやり人に扶けられ扶け、そうして齢(よわい)を重ねて今に至ったおばあちゃんの姿は、努力を怠りがちで人との関わりを煩わしく思う、そんな愚かしい生(せい)で人生の半ばまで来てしまった小生にとっては、とても眩しく、かくありたい存在に映りました。だから小生はおばあちゃんに向かって小さく合掌致しました。そしていつの間にか我知らず呟いていました。


「ありがたいなぁ・・・」


と・・・。
その呟きを自覚した時、小生は自分でも驚いてしまいました!
『ありがたい・・・』その言葉は『水曜どうでしょう』の『四国八十八ヵ所完全巡拝』の中で、旅が佳境に差し掛かる頃に大泉洋が、悟りを開いた様な表情で呟くものである。勿論それは番組展開上の演出に過ぎず、それを呟いた直後に
クリームパンを巡ってカメラ担当ディレクターと醜く争うという『悟り』とは程遠い愚行をして笑いを誘ったりするのだがそれでも彼が『ありがたい・・・』と呟く瞬間の表情には一片の真実味があり、小生もこの秩父三十四ヶ所の旅を通じて、いつかそれを呟きたい、呟ければと思っていた。


それが今こんな形で、たった三ヶ所のお寺を巡っただけの時点で口を突いたのには、他の誰よりも小生自身が驚いた!そして嬉しかった♪それを導いてくれたおばあちゃんの後姿に、小生はもう一度小さく合掌して頭を下げた。そして心洗われた清々しい想いで次なるお寺、三番札所常泉寺に向かったのでありました。








続く。
by shousei0000 | 2008-08-18 12:58 | 秩父三十四ヶ所


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